三谷龍二

読みもの

侘びの美意識に通じる、「粗相」についての考察。

「”ソソウ”、ヲドウオモワレマスカ?」。ある禅寺で行われた催事の折、片言の日本語で不意に尋ねられて、ドキリとしました。茶の湯について研究するために日本を訪れた留学生の彼女。その論文のテーマが「ソソウ」であるというのです。漢字で書き表すなら「粗相」もしくは「鹿相」。元来は、不注意や軽率さからしでかす過ち、でなければ、粗末、粗略や軽薄であるさまを指す言葉です。

安易な高級志向を捨て、 選び取った素朴なカタチ

「上を粗相に、下を律儀に」
これは、利休の愛弟子であった山上宗二が、師匠から学んだ茶の湯の極意について書き綴った『山上宗二記』の一節です。「覚悟十体」として、茶の湯者に不可欠な十の戒めを説いたくだりの冒頭に挙げられています。
自分よりも、目上へのもてなしは、簡素に。下の人たちの場合にこそ入念にきちんと、という訓戒は、少し皮肉にも聞こえますが、当時流行の「侘び」とはどんなものだったのか、考える上で実に興味深い一文です。
実際、利休や宗二が生きた頃、時代の最先端をいく堺の茶の湯者たちは、舶来の上等、な唐物ばかりをありがたがることから離れて、粗末な雑器の中に新しい美を発見していきました。
これはとてもエポックメイキングで大切な事件でした。先進の海外からもたらされた器物をありがたいと感じるのは、それが実際に優れているから、ではなくておもな理由は経済、高いからよい、と思っている場合も多い。宛(あ)てがい扶持(ぶち)の高級品志向に飽き足らず、自分たちで、なにか美しいものを探そうとする行為は、茶の湯という文化が純粋に和様化、つまり日本人のものになったという証明でもありました。
それを象徴する器物のひとつが、木肌もあらわ、素朴な塗りの松ノ木盆です。侘び茶の祖・村田珠光が見出し、利休のライバルであった津田宗及が愛玩したという、由緒は立派でもその見た目はいかにも”侘び”。
転じて現代。木工作家・三谷龍二の作品に、かつての侘び数寄者にも通じる美意識を感じます。三谷は最近よく耳にする「生活工芸」の旗頭。本人はそれに自覚的ではなかった、と語りますが、肩に力の入った状態でなく、もっとフラットな気持ちで使えるものを、と求めて器をつくり続けてきた彼の姿勢が多くの共感を呼び、ひとつの流行を生んだのでしょう。
ヨコモジ文化へ盲目的にすり寄ることに飽き、あからさまなバブル志向に辟易した日本人。誰かが用意するものでなく、自分で大切ななにかを発見する。次の一手はどこに。


木村宗慎
茶人。1976年、愛媛県生まれ。神戸大学法学部卒業。少年期より裏千家茶道を学び、翌年に芳心会を設立。京都、東京で稽古場を主宰しつつ、雑誌やテレビ番組、映画、展覧会などの監修を手がける。グルマン世界料理本大賞など受賞多数。著書に「茶の湯デザイン』(CCCメディアハウス)など。

写真左から

檢四寸漆十字四方皿

三谷龍二作 2018年 縦12.0×横12.0×高さ2.0cm
木工作家の三谷龍二は1952年福井市生まれ。長野県松本市を拠点に、現代の生活者の目線で普段使いの木の匙や器をつくる。漆十字四方皿はくり出した楡の木地を拭き漆で仕上げ、白漆で「十」の字を描いたもの。木肌やノミ跡の風合いが手仕事の温もりを伝える。

唐物松ノ木盆

村田珠光所持 明時代 縦22.5×横22.5cm
侘び茶の祖として『山上宗二記』でも神格化して扱われる村田珠光の「物数寄による」と箱に記された松の木の四方盆。木目の透けて見える簡素な塗り、裏にはつなぎ目の釘跡もあらわになった簡素なつくりに、安易な唐物礼賛を離れた古の茶人の美意識が息づいている。





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