三谷龍二

トピック



(転載)PEN 7/15号 木村宗慎連載 ー利休によろしくー
侘びの美意識に通じる、「粗相」についての考察。
2018.07.08
「”ソソウ”、ヲドウオモワレマスカ?」。ある禅寺で行われた催事の折、片言の日本語で不意に尋ねられて、ドキリとしました。茶の湯について研究するために日本を訪れた留学生の彼女。その論文のテーマが「ソソウ」であるというのです。漢字で書き表すなら「粗相」もしくは「鹿相」。元来は、不注意や軽率さからしでかす過ち、でなければ、粗末、粗略や軽薄であるさまを指す言葉です。

安易な高級志向を捨て、 選び取った素朴なカタチ

「上を粗相に、下を律儀に」
これは、利休の愛弟子であった山上宗二が、師匠から学んだ茶の湯の極意について書き綴った『山上宗二記』の一節です。「覚悟十体」として、茶の湯者に不可欠な十の戒めを説いたくだりの冒頭に挙げられています。
自分よりも、目上へのもてなしは、簡素に。下の人たちの場合にこそ入念にきちんと、という訓戒は、少し皮肉にも聞こえますが、当時流行の「侘び」とはどんなものだったのか、考える上で実に興味深い一文です。
実際、利休や宗二が生きた頃、時代の最先端をいく堺の茶の湯者たちは、舶来の上等、な唐物ばかりをありがたがることから離れて、粗末な雑器の中に新しい美を発見していきました。
これはとてもエポックメイキングで大切な事件でした。先進の海外からもたらされた器物をありがたいと感じるのは、それが実際に優れているから、ではなくておもな理由は経済、高いからよい、と思っている場合も多い。宛(あ)てがい扶持(ぶち)の高級品志向に飽き足らず、自分たちで、なにか美しいものを探そうとする行為は、茶の湯という文化が純粋に和様化、つまり日本人のものになったという証明でもありました。
それを象徴する器物のひとつが、木肌もあらわ、素朴な塗りの松ノ木盆です。侘び茶の祖・村田珠光が見出し、利休のライバルであった津田宗及が愛玩したという、由緒は立派でもその見た目はいかにも”侘び”。
転じて現代。木工作家・三谷龍二の作品に、かつての侘び数寄者にも通じる美意識を感じます。三谷は最近よく耳にする「生活工芸」の旗頭。本人はそれに自覚的ではなかった、と語りますが、肩に力の入った状態でなく、もっとフラットな気持ちで使えるものを、と求めて器をつくり続けてきた彼の姿勢が多くの共感を呼び、ひとつの流行を生んだのでしょう。
ヨコモジ文化へ盲目的にすり寄ることに飽き、あからさまなバブル志向に辟易した日本人。誰かが用意するものでなく、自分で大切ななにかを発見する。次の一手はどこに。

写真上から

檢四寸漆十字四方皿

三谷龍二作 2018年 縦12.0×横12.0×高さ2.0cm
木工作家の三谷龍二は1952年福井市生まれ。長野県松本市を拠点に、現代の生活者の目線で普段使いの木の匙や器をつくる。漆十字四方皿はくり出した楡の木地を拭き漆で仕上げ、白漆で「十」の字を描いたもの。木肌やノミ跡の風合いが手仕事の温もりを伝える。

唐物松ノ木盆

村田珠光所持 明時代 縦22.5×横22.5cm
侘び茶の祖として『山上宗二記』でも神格化して扱われる村田珠光の「物数寄による」と箱に記された松の木の四方盆。木目の透けて見える簡素な塗り、裏にはつなぎ目の釘跡もあらわになった簡素なつくりに、安易な唐物礼賛を離れた古の茶人の美意識が息づいている。


木村宗慎

茶人。1976年、愛媛県生まれ。神戸大学法学部卒業。少年期より裏千家茶道を学び、翌年に芳心会を設立。京都、東京で稽古場を主宰しつつ、雑誌やテレビ番組、映画、展覧会などの監修を手がける。グルマン世界料理本大賞など受賞多数。著書に「茶の湯デザイン』(CCCメディアハウス)など。

新刊のお知らせ
「すぐそばの工芸 ー生活工芸の輪郭ー」
2018.04.19
近年、国内はもとより海外からも熱い注目を浴び続けている「生活工芸」。
私たちの暮らしに寄りそう「工芸」について、その成立や特徴を9つのキーワードを立てて考えました。
また、いくつかは作家との対談によって、作品の底に流れる思いをすくいとりながら、ひもといていきます。

9の言葉
1 親密なるもの
2 素材感覚
3 弱さ
  4 へなちょこ工芸 (対談:冨永淳)
5 誰かの暮らしにつながっている
6 自然の声 (対談:ハタノワタル)
7 幾何学のイコン
8 写し (対談:山本亮平)
9 作品、その背景 (対談:内田鋼一)

三谷龍二 著
講談社 刊
2018年5月18日発行 定価1800円+税


tohe 柴田奈穂子さんのスコーン
お取り扱いが始まりました。
2016.07.29
毎月第四金曜日
数量限定で入荷致します。
プレーンをはじめ、4〜5種類の味わい。ひと月に一度のおたのしみです。

- 10cm お店のご案内

call
Call での取り扱いが始まりました。
2016.07.28
call
皆川明さんの新しいお店「Call」での取り扱いが始まりました。
限定品をときどきお届けしております。

- Call

「ちいさな時間」
ギャラリー やまほん
2016.04.30
月夜のボタン

何かの役に立つわけではなく、人目をひく美しさもないが、人をその場から立ち去りがたい思いにさせるものがある。中原中也にとってそれは月夜の浜辺に落ちていたボタンで あった。

 月夜の晩に、ボタンが一つ/ 波打際に、落ちていた。
 それを拾って、役立てようと/ 僕は思ったわけでもないが
 なぜだかそれを捨てるに忍びず/ 僕はそれを、袂に入れた。
  中原中也「月夜の浜辺」

人に見捨てられ、いまにも波に攫われそうなボタンは、月光のもとで何よりも無垢な存在 として浜辺をさまよう詩人の琴線に触れた。このとき「指先に沁み、心に沁みた」のは、 ボタンそのものというよりその佇まいだったのではないだろうか。
三谷さんの手になるPaper Blocks は、月夜のボタンのように、ひっそりとただそこに在 るものの、どこか影を宿した佇まいを感じさせる。三谷さん自身が漆で紙を張り合わせて 形をつくり、彩色を施し、新たに制作したものであるにもかかわらず、その姿が古びた紙 製の箱や積木にどこか似ているからだろうか。中身はとうに失われ、色が褪めてところどころ擦り切れた箱も、子どもが成長した後に押し入れの片隅に残された積木も、人々が関 心を失い、存在すら忘れてしまったものである。三谷さんもまた人間のあらゆる欲望の対 象から解放されたものが持つ無垢な佇まいに引かれ、その場を立ち去りがたく思う人の一 人であるにちがいない。
だれの目にも見える姿や形、色や光とは違い、佇まいや影は捉えどころがない。みなが 同じように感じるわけではなく、次の瞬間には失われているかもしれない。太陽であれ月 であれ、ものに射す光ではなくものが宿す影に気づくかどうか、片隅で忘れられたものの 佇まいに無垢を感じるかどうかはすべてその人次第である。

土田眞紀(同志社大学講師)


-「ちいさな時間」 5月14日(土)→ 6月5日(日)
 ギャラリー やまほん

中国語簡体字版の刊行に向けて
2015.11.30
こんにちは。 いつもホームページをご覧頂きありがとうございます。 この度、拙書「木の匙」「僕の生活散歩」「生活工芸の時代(共著)」(いずれも新潮社)「日々の道具帖」(講談社)の4冊が、ほぼ同時に中国語版として翻訳版がでることになりました。その内「木の匙」に中国語簡体字版の刊行に向けて、として一文を加えたので、これは日本で読まれることのないものだと思い、ここに掲載することにいたしました。

「木の匙」中国語簡体字版の刊行に向けて

 木の匙は、僕がはじめて作った本でした。本が好きでしたから、いつか自分も本が作れたらと、ずっと思っていたのですが、この本のお話をいただいた後でも、どこから始めてよいか分からず、長い間同じ場所で足踏みしていました。そして、ようやく本ができたのが2005年でした。その時は、ちょうど続けてきた「クラフトフェアまつもと」も20年を過ぎて、やってきたこれまでのことを少し振り返って整理したい、と思っていたころでしたから、僕にとってよい機会でした。
 同じ料理でも 器が変わると、見た目だけでなく、おいしさまで変わるような気がいたします。器を作っていてまさに嬉しいことは、使った人がそのような小さな幸福を感じて、喜んでいただく時です。とかく政治や経済などの大きな社会の中では、そんな個人の小さな喜びは、気にも止められないまま通過してしまうことも多いもの。でも、そのことを大切にしないでは、結局は自分自身を大切にしないことにも繋がるような気がして、そのためにも普段の日々の暮らしを大切にして、そこからものを作っていくことをしていきたいと思ってきました。
 作る側から、使う側に軸足を移したものづくりを、僕たちは「生活工芸」とよんできました。そして、それ以前の日本の作家の仕事を、見せる器、つまり「鑑賞工芸」と呼んでいます。ちょうど日本にも景気にいい時代があり、接待や宴会などがたいへん盛んだった。そして、料理屋などで使われる器は、盛りつけた時には華があって、見る人を驚かすような、ちょっと派手なものが求められました。ところが景気が冷えて、飽食の時代といわれた時期も過ぎた頃には、人々は外食にも飽きて、物質による幸福感にも限りのあることを知ったのです。そして物質的な豊かさではない、もうひとつの価値観を模索するようになりました。そうしたなかで再発見したのが「家で食べるごはんの豊かさ」でした。バブル期には家庭の主婦も、おいしいものを食べ、「おいしいもの」をよく知りました。そしてそれを、自分たちの家で作ってみたいと思うようになった。家での食事が増えると、自然に食器への関心も高まって、「生活工芸」が求められるようになったのでした。
 そうした意味では、日本のこの2~30年は、普通の人々が、手仕事で作られる器に興味をもち、それが広がった時代だったと思います。それに連れて、日々の暮らしに相応しい、普通の器、自分の存在を主張しないような暮らしの器を作る人たちも増えていきました。

三谷龍二

「佇まい展」の本ができました。
2015.10.13
パリで催された6人の作家による展示会、「佇まい展」の本ができました。
10cmで販売しております。
¥1,000(税込)

アネモメトリ
「アネモメトリ -風の手帖-」
掲載のご案内
2015.1.17
アネモメトリ
京都造形芸術大学 芸術教養学科のWebマガジン「アネモメトリ -風の手帖-」にて特集されましたのでご案内致します。

- 工芸と三谷龍二 前編「三谷さんのものづくり」
- 工芸と三谷龍二 後編「生活工芸から、その先へ」

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