あれは確か11月だったと思うのだが、その日はとても暖かだった。振り返ると、先ほどの船着き場が遠くに見え、穏やかな岸辺の道が白く光っていた。波打ち際の道は、水面から高く立ち上がっているために、まるで舞台の花道のように、そこを通る人々の様子を際だたせているようにみえる。道の上には、島の斜面に沿って段々に、家が続いてゆく。島には自動車がないせいだろうか、先ほど佐田浜港を出るまでの喧噪が嘘のように静かで、心地よかった。とてもたっぷりした時間が、そこにはあった。
よく見ると黒い喪服を着た人たちがぱらぱらと、その道を船着き場に向かって歩いている。自転車でゆく人もいる。島の誰かに不幸があったのだろうか。離れているせいでこちらには詳しい様子はなにも伝わってこない。遠くにいる人々の動いているのが見えるだけだ。波の音、ペダルの軋む音。船のエンジン音。明るい海風の中、ただそんな音だけが聞こえてくる。静かな島で、静かに行われる儀式であった。
こちらから島全体の風景といっしょに黒い服人々を見ていて、僕は大きな画面のなかにひとが小さく描かれている風俗絵画を思い出した。たとえば京都市中と郊外の景観を詳細に描いた洛中洛外図。人の暮らしというものを空から眺める洛中洛外図の大きな視点は、僕たちの暮らしが、もっと大いなるものに抱きかかえられるようにして成立していることを教えてくれる。
島のなかで点景のように暮らす人々。風景にとけ込むようにして暮らしている、この島の人々の様子が、僕にはちょうどそんな風に見えた。
時折、トントントントンという音を立てて、目の前を通り過ぎる漁船。島の生活音。あの意識が遠のくような静けさ。
それはきらめく陽射しのなかの、溶けるような時間だった。
あれから5〜6年は経ったろうか。僕は今、工房で舟形の木の器を作っている。手元の桜の木を彫刻刀が削るサクサクという音とともに、電動工具で粗彫りされた表面が、少しずつ滑らかになってゆく。秋になると、工房の周りの果樹園では、様々な実りがはじまる。桃、葡萄、キウイ、栗、林檎。そして、敷地内に一本だけある洋梨の木。洋梨は、澄んだ淡いグリーンの色合いと、不思議な彫刻的美しさを持っているので、その味とともに、僕が大好きな果物だ。
工房の前の道は、先が行き止まりであるために、時折通る車の音以外は、このあたりも比較的静かなところだ。窓の外では、風で葉が擦れあう音や、数種類の鳥のさえずる声が、聞こえている。
削り上がった木の器を、作業台の上に置いてみる。すると、まるで一隻の舟が、海の上に浮かんでいるように見える。
ライトに照らされて、作業台の上に浮かぶ、木の舟を眺めながら、僕は遠く離れた、あの静かな島のことを想った。
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