Short Essay 繕う 離乳食ボウルとスプーン バターケース



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 ものを繕って使うということが、とても難しくなっているように思います。
 木の器は、陶磁器や硝子の器に比べれば、随分丈夫なものだと思います。それでも床に落としたり、強くぶつけたりすれば欠けたり割れたりすることもあります。
もちろんそんなことが起こらないように注意して取り扱っていただけたら嬉しいのですが、それでも万一破損が生じた場合は、できるだけお直しするようにしています。
でも、修理のために工房に戻ってきた器を見ることは楽しみなものです。同じように作ったつもりでも、使う方によって器はとても変化した表情を見せてくれるからです。飴色に、とてもいい具合に風合いが変わったもの。油っけが抜けて、カサカサした感じになったもの。それはまさに「その人のもの」になっているな、思えるぐらいに、変わっているのです。
 例えば縁の欠けた器の修理の仕方ですが、修理の依頼をされるとき、欠けた破片を大切に紙に包んで、器と一緒に送られてくることがあります。しかしその破片を接着するということは、強度に不安もあるのでしません。修理は、欠けた部分を含めてその前後を少し大きく刀で削っていき、天ブチ部分が少しうねりをもった、しかしそれもまた違った雰囲気のもうひとつの器になるよう、作り変える方法を僕は採っています。
 ところで、今ケータイ電話やパソコンなどは1〜2年のうちに価格が極端に落ちて、修理費よりも本体価格の方が安くなってしまったりすることもあって驚かされます。ものを繕いながら「もの」とつき合うことで、初めて感じることのできる愉しみが、経済上の理由ばかりで壊されているのです。繕いながら「もの」を長い間使い込むことは、実は「もの」に、自分の生きた大切な「時間」を刻んでいるに他なりません。生活道具は、人の暮らしを深いところで受け止めてくれるものでもあるのです。こうした「もの」とつき合う文化を伝えてゆくことは、これからの「工芸」が担う、大切な役割になっていくのかも知れません。
三谷龍二




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